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BOOK REVIEW vol.4

今月の本 vol.4:教わるファッション

出発点か個性の消去か。おしゃれに“見える”ファッションのルールを学ぶ。

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おしゃれが苦手でもセンスよく見せる最強の「服選び」』大山旬(大和書房)
最速でおしゃれに見せる方法』MB(扶桑社)
服を着るならこんなふうに』漫画:縞野やえ 企画協力:MB(角川書店)
わたし史上最高のおしゃれになる!』小林直子(扶桑社)
いつもの服をそのまま着ているだけなのに なぜだかおしゃれに見える』山本あきこ(ダイヤモンド社)
理論派スタイリストが伝授 おしゃれの手抜き (講談社+α文庫)』大草直子(講談社)
着るということ』水野正夫(藍書房)
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 “おしゃれである”という自意識をキープするのに疲れ、すっかり楽な格好になって久しい。そもそも自分の好きなものを好きなように買って着た格好が、どうにもおしゃれになりきれないということも多く、これは自分を疑ってどうにかしたほうがいいということだと判断し、ごくシンプルなところに落ち着いた。自分の極端ななで肩、短足に悩みつつ。

 高らかにシンプルを謳う「Oggi」最新号の表紙を眺めてなぜか震えを覚えながら、そもそも“おしゃれである”とはどういうことなのか、“おしゃれである”と他人から思われる意味と必要とは何なのかを考えていた。ファッションは自己表現であるとか、コミュニケーションツールであるとか言われることもある。でも、最大限自己表現できていることが世間的な“おしゃれ”なわけではないだろうし、コミュニケーションツールとして自分という人間をわかりやすく伝えることができたとしてもそれがイコール“おしゃれ”なわけではない。

 では何をどうすることがおしゃれとされていて、基準やルールはあるのかなど、おしゃれの定義を自ら更新し続けるモードの世界ではなく、プライスもデザインも日常に根ざした視点から調べるべく、アマゾンで評価の高いおしゃれ指南本をいろいろ読んでみることにした。

 結果はどれも理論やルールはあるとしている。「色は三色まで」「三首(首・手首・足首)を見せる」「ドレス(きれいめ)とカジュアルのバランス」というルールは、表現は違えどもある程度共通している一方で、何をスタートとするかはそれぞれ違っている。90%の人からおしゃれに思われるためのロジックがあるとする『最速で〜』はパンツと靴のボトムスで印象の7割が決まると言い、『着るということ』でも「下半身がちゃんと着られれば、上半身は少しくらい放っておいてもかまわない」と冒頭から書く。『わたし史上〜』はキャラクターとシーンを考えた後、シルエットやアイテムよりもまず色を計画することから始め、『おしゃれの手抜き』もベースカラーが決まればコーディネートは成功すると説いている。『最強の〜』と『いつもの服〜』はふつうのシンプルな服が大切だとする。ポイントは似ていてもテイストや買い物への視点の違いでそれぞれの独自性があるため、自分に合う本は読んで見つけるしかないが、どの本の提案もキレイめで清潔感があり、色使いや質感も印象はいい。ただ紹介されるスタイリングを見て、個性という言葉は浮かんでこない。先にファッションが自己表現と言われることがあると書いたけれど、こうした本のいくつかがいうおしゃれは自己表現や趣味性の反映ではなく、他人からおしゃれに“見られる”ということに主眼が置かれている。ファッションがその人の趣味や性格、考え方を表現しているというよりも、外見と内面の連動はせず、内面を見てもらうためのきっかけとしての外見をマイナスな印象にしないということを主張しているようにも読める。

 タイトルにある、おしゃれに“見せる”、センスよく“見せる”ことで得られるものは何かというと、それは自信であり、その自信によって自分を表舞台へと導いてくれることだという。特に『わたし史上〜』は全体に強い口調ではあるけれど、あとがきで展開される檄文、アジ文のような自由であれ、主人公であれという主張には面食らうほど迫力があるのでお時間があれば読んでみていただきたい。一気呵成に書かれた畳み掛ける煽りに少々引き気味で読み終えた。

 こうした本が人気になるということは、おしゃれだと世間から見られないことは恥ずかしいものであり、損をしていると考え、経験している人がそれなりの数いるということでもある。

 それはとても寂しい。おしゃれであると世間から見られることと、その人の魅力は相関関係ではない。最初は外見で判断される、外見は大事だ、という意見がある。物理的に臭い、汚れているのであれば洗濯したほうがいいと思うけれど、自分がこう着たいではなく、おしゃれと“見られる”ことを考えなければ、“みんな”と同じスタートラインに立てないなんてことがあるとしたらちょっとしんどい。服が多少チグハグだって、そもそも立っていた場所が自分自身の場所であって、おしゃれではないという烙印を押された(と思い込んだ)結果追いやられた場所ではないのだから。

 とはいえ、知らなかったルールや理論を知って自分に自信を持つことの効用はあると思う。人と接することに積極的になれるだろうし、自分の選択を肯定的に捉えられるようになるかもしれない。何よりファッションが楽しくなる。『最速で〜』の著者でファッションブロガーのMBが企画協力しているマンガ『服を着るならこんなふうに』は、『最速で〜』の内容を実践的に活用し、男がファッション好きになり、自分に自信を持つことで日常が好転していく様を描いている。ファッション好きな妹の指導の元、スキニーパンツを買うことから始まっていくのだけれど、『最速で〜』では描かれないファッションの楽しくさに、自分が若くて似た境遇であれば影響を受けたかもしれない。

 よく売れている『最速で〜』と『最強の〜』の二冊はスタイリングの傾向は違えども、“襟の裏側に柄が入っていたり、ボタンホールの色が別の色になっていたりするようなシャツ”を持っている人が対象であることは似ている。ちょっとがんばってデザイン性を意識したものこそがダサく見えてしまうという、おしゃれになりたい人の間違ったがんばり方への指摘が当事者はショックを受けそうだが、たしかにこの層にテキメンに効く本だろうなと思った。

 本を読んでその通りに動くにしても違ったファッションをするにしても、『最強の〜』に書かれている試着して鏡の前で3分耐えるというのは、かなりハードルが高いけれど服選びを失敗しないためには大切だと思った。でも、きっと恥ずかしくて3分は耐えられそうにない。ルールを知ってそれに忠実にやっていればきっと大きな失敗はないけど、ルールと無関係に直感でいいと思ったものを着たいという気持ちを忘れないようにしないと、装うことがつまらなくなって、飽きてしまいそうだ。だから、これからもたぶんダサいと思われる服装もするだろうけど、ルールを遵守するより、好きなものを着て周囲にダサいと思われても成立する自分の立ち位置をつくれるように生きていくほうが楽な気がするし、自信と呼ぶのかわからないけれど、神経は多少太くなりそうな気がしている。