HONEYEE.COM BOOK REVIEW Back Number
BOOK REVIEW vol.9
今月の本 vol.9:普遍的スニーカーのこと
どんなに田舎でも買えたコンバースのオールスターが、モードでいちばん格好良かった。
ーーーーーーーー
『1996-2001 / 2001-2006』RAF SIMONS(printing.jp)
ーーーーーーーー
昔からハイテクスニーカーを履いてこなかった。好きじゃないというより、似合わない。しかもハイテクと謳うだけあって機能的にもさまざまな工夫が施されており、だいたいどれも高い。そのため、81年生まれで「エアマックス95」以来のハイテクスニーカーブームを同時代で体験してきたが、買えたことはなかった。当時、学校に履いてきた友人知人の人気スニーカーが、下校時下駄箱から消えているなんてことも何度かあったから、ビビって買わなかったのかもしれない。
思えば、ブランドと靴メーカーのコラボスニーカー買ったことがない。生地が違ったり、カラーリング違いだったり、ロゴが入っていたり、そうしたデザインの違いでオリジナルの靴より何倍も高い値段で売られることにどうしても納得ができない。だって履き心地はどちらも一緒なのだ。大人になって、実際に素材の価値が違ったり、別注で少量だけつくることでコストが上がったりすることはわかったけど、やはりほぼそれは名前にお金を払っている気がして手が出せないでいる。
ラッパーのエイサップ・ロッキーが「RAF IS OUR FASHION GOD」と敬愛を表明し、「Please don’t touch my Raf」と歌う『RAF』を発表したことで、また新たな層へとファンを拡大しているファッションデザイナー、ラフ・シモンズ。アディダスをはじめ、いろいろなスニーカーとのコラボでよく話題にもなるデザイナーではあるが、スニーカーのデザインと価格に対する自分の価値観は、90年代のラフ・シモンズによってつくられたのではないかと思っている。ファッションに最も敏感な中高生時代が90年代半ばから後半で、当時日本のモード市場はすごい盛り上がりを見せていた。地元である仙台は、レボリューションという会社がレクルールというセレクトショップをはじめ、マルタン・マルジェラなどアントワープ系の海外ブランドや国内のコレクションブランド、さらにはNOWHEREやグランドキャニオンなど裏原系のショップを広く展開、当時東京に次ぐモードファッションの都市として路上には奇抜なファッションの人たちで溢れていた。マサキ・マツシマを中心に、シンイチロウ・アラカワやビューティビースト、果ては20471120まで、主にドメスティックブランドを着ていた自分にとって、パリやロンドンコレクションで活躍するデザイナーやブランドは、価格的にもデザイン的にももう1ステップ上の存在だった。ラフ・シモンズもそのひとり。レクルールで目にすることになったラフ・シモンズは、そりゃもうソリッドで、ストイックで、クールだった。黒やグレーのダークカラーを中心にした静かだけど強いカラーリングを、テーラードの美しいシルエットに、イブ・サンローラン・リヴゴーシュ期のエディ・スリマンより早いスキニーパンツ、ジッパー使いや破れ加工、カウンター的メッセージや記号の装飾。代名詞的な袖が切りっぱなしのロングジャケットのかっこよさは、今もまったく色あせていない。セックス・ピストルズなどのパンクから、ポスト・パンク、ニューウェーブのジョイ・ディヴィジョン(と後のニュー・オーダー)、そしてクラフトワークなど音楽からの直接的な引用も含め、「少年性」と形容されたナイーブな内面性と反骨心の表象として、彼の服はミニマルであるがゆえに、その“若さ”を強烈に訴えかける魅力を持っていた。
裸の上半身には黒いヤシの木が背中に描かれ、黒いパンツ、そして紐を白から黒に変えた真っ黒なコンバース・オールスターというスタイリングで、「98年SS BLACK PALMS」コレクションのランウェイは始まる。透ける服でも布が少ない服でもなく裸に黒のパンツと黒のスニーカーの華奢なモデルが何人も続く。そして、そのスニーカーは汚れていた。そんな提案はそれまで見たことがなかった。自分の体は自分のものであると、静かにだけど力強く主張するように、モデルたちはランウェイを素早く歩いて行く。そして、クラフトワークをイメージソースとした98-99のAW「Radio Activity」では、黒い革靴と真っ黒なオールスターが共存し、99SSの「Kinetic Youth」では一転して真っ白のオールスターや市松模様のVANSのスリッポンなどが使われた。メーカーとコラボレーションしたスニーカーでランウェイを歩くことは珍しくない。だが、ラフ・シモンズはまるでモデルがプライベートで履いていたかのような汚れたオールスターを、紐を黒に変えたオールブラックにアレンジして提示した。当時もいまも誰もが気軽に変えるスニーカーの代名詞であるオールスターが、テーラリングの洗練さとユースカルチャー由来の攻撃性や内省性の表象としてチョイスされたことは、お金がないけどモードが大好きだった若者(自分)にはとても大きな啓示だった。高い革靴や(レアな)スニーカーを買わなくても、いつも履いている汚れたオールスターの紐を黒く変えることで、自分らしいスタイルのあるファッションが可能だとラフ・シモンズは証明してみせた。いたずらに最新の服や靴を買うことがファッションとしての正当なあり方なのではなく、汚れたスニーカーを生き方の美学として提示したように、ラフ・シモンズのデザインされた切り込みや破れ、切りっぱなしのほつれは、自分のワードローブにあるヨレヨレのTシャツとスニーカーに合わせて着てこそ、自分のスタイリングだと言われているようだった。
そして、本書『1996-2001 / 2001-2006』だ。服から印刷物まで、ファッションにまつわる様々なものをアーカイブ化しているprinting.jpが、ラフ・シモンズのコレクター数名の服を撮影。一切文字情報のない、服や印刷物などだけがただひたすら700ページ近く時系列で続いていく、ストイックなアーカイブブックとしてまとめられた。コレクターのアイテムとはいえ、もちろんすべてを網羅できているわけではないし、物によっては何度も着たであろう痕跡も見受けられる。ここ数年、大手メゾンのアーカイブブックが数多く出版されたが、多くはランウェイの写真かキャンペーンの写真、デザイナーのスケッチ等を中心に、時にトルソーに着せた服が並ぶという構成。ブランド側が提示する正史としてのアーカイブはそれでひとつの正解なのかもしれない。切りっぱなしの袖や破れた生地、汚れたオールスターでティーンネイジャーを表象したラフ・シモンズには、誰かが着た服がアーカイブとしてふさわしいのではないだろうか。なんなら一部は、ナポリタンのケチャップが付いていたり、コーヒーの染みが取りきれていなくてもよかったのにとすら思う。いまラフ・シモンズの過去コレクションアーカイブが高騰しているという。載っている服は、今どれを着たとしてもかっこよく見えるし、10年後でも、20年後でも間違いなくかっこいい。VANSとコレットとラフ・シモンズのコラボスニーカーは載っているが、デザインしたわけではない真っ黒なオールスターはもちろん載っていない。でも問題ない。汚れたオールスターは読んでいる人の玄関にきっとある。
・参考資料ウェブサイト
一連のラフ・シモンズの過去コレクション再評価はこのスタイリストの個人コレクションが裏にあるそう。
学生が自分の調査研究のために資料を集めたタンブラーサイト
http://in-the-name-of-raf.tumblr.com/