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BOOK REVIEW vol.18
今月の本 vol.18:考古学的リサーチと記憶術、そして建築。
『田根剛建築作品集 未来の記憶/Archaeology of the Future』田根剛(TOTO出版)
『アーキオロジーからアーキテクチャーへ』田根剛/聞き手 瀧口範子(TOTO出版)
滑走路をそのまま延伸したかのようなエストニア博物館で一躍名が知られることとなった、パリを拠点に活躍する日本人建築家田根剛。1979年生まれ、2006年から事務所を立ち上げたが、まだそれほど実作は多くない。むしろ知名度に対して日本で体験できる作品はほとんどないとさえ言える。その田根の展覧会がオペラシティギャラリーであると知った時、どんな展示が行われるのだろうかと考えていたのだが、「Archaeology of the Future ─ 未来の記憶」展は、建築家の作品展というよりも、Archaeology=考古学というタイトルの通り、発掘現場の調査報告のようであった。場所の記憶を掘り起こし、未来をつくる建築のための原動力とする田根の姿勢がそこに表明されていた。
まだ誰も見たことのない、経験したこともない、想像すらしたことのない、そんな建築をつくりたいと思っています。でもそれは奇抜な未来型の建築とは違う、場所の記憶からはじまる建築、そんな途方もないことを考えています。
私はいつも考古学者のように遠い時間を遡り、場所の記憶を掘り起こすことからはじめます。そこでは今日の世界から忘れ去られ、失われ、消えてしまったものに遭遇し、それらを発見する驚きと喜びがあります。その時、記憶は過去のものではなく、未来を生み出す原動力へと変貌するのです。
場所には必ず記憶があります。建築はその記憶を継承し、未来をつくることができるのです。未来は必ず訪れます。建築はこの時代を動かし、未来のその先の記憶となります。まだ誰も見たことのない未来の記憶をつくること、建築にはそれが可能だと信じています。 田根剛
展示は、進行中のプロジェクトにまつわる古材や旅で見つけたオブジェなどで組まれたインスタレーションから始まる。そこを過ぎて現れる白い部屋には、「IMPACT 衝撃は最も強い記憶である」「COMPLEXITY 複雑性に記憶はない」「SYMBOL 象徴は記憶の原点である」「IRREGULARITY 差異は記憶化される」「FICTION 幻想は記憶である」「TRACE 記憶は発掘される」など、12のテーマで集められた膨大なヴィジュアル資料が壁や床に貼り巡らされている。12の大セグメントから枝分かれするように「MISSING」「LOST」「ABSENCE」無など数の小テーマが生まれ、全体が緩やかな関係性で結ばれた壮大なイメージの博物館の様だ。
その部屋を出るとメイン展示室となる。そこにはエストニア博物館や日本の国立競技場の最終コンペに残った古墳スタジアムの模型などを中心に、現在進行中のプロジェクトを含めた7つが紹介されている。エストニア博物館のプレゼンで使われた大きな模型を始め、現場で発生した素材のかけら、美術書やサーベイした古い写真など、記憶を掘り起こして分類し、調査、再構築したものが、未来と過去をつなぐ新たな記憶としてこれから立ち上がる建築物への想像力を喚起してくる。
『田根剛建築作品集 未来の記憶/Archaeology of the Future』と『アーキオロジーからアーキテクチャーへ』は、オペラシティギャラリーとギャラリー間で同時開催しているふたつの展覧会の図録も兼ねた作品集とインタビュー本だ。展覧会で展示された7つのプロジェクトを含む17のプロジェクトが掲載されている。それぞれのプロジェクトに“考古学”的に発掘された様々な歴史的資料がまとめられたコンセプトの章、完成写真やコンペ作、オンゴーイングの作品は模型やCGによる建築物の章、そして図面の章という大きく3つから構成され、田根の事務所で行われているリサーチから実作へという流れが追えるようになっている。
作品集ではページの関係やまとまりとして見せる意味もあって、オペラシティギャラリーで展示されていた膨大で連想ゲームのように繋がっていく圧倒的なイメージの塊たちはない。けれどもプロジェクトごとにコンセプトと完成写真、図面をまとめず、別々の章立てとしたのは、それぞれ違う頭の使い方をしながらも、イメージを飛躍させることができる。展示の実空間と書籍というメディアの特性を相互補完するような見せ方になっているが、今後本だけが独り歩きする時、展示で提示してくれたような、イメージを渉猟し、編集分類していくことの強さと展開可能性、そして膨大な中から何を選び取ったのかという過程を見せてほしかったという思いもある。
未来だけを見て想像した未来の建築物は、きっと近いうちに古びるか“あの頃思い描いた未来”のようなノスタルジーとして捉えられるのではないか。過去=記憶は、変化も整理も、そして発掘もされるが古びない。それはその都度、発見されるから。田根にとって記憶のリサーチは考古学的な研究のためであり、そこに形や空間のアイディアやフォルムを求めているわけではないという。正史からはこぼれたもの、断片的なものとしての記憶が集ってくると、「直接には関係ないものが連想ゲームのように思考の中で連結され意味を持ち始めたりする」。縦横にイメージが展開していく場所の記憶から建築を始めるということは、脳内に作った建築物に記憶を配置し、場とイメージで結びつけて記憶する、(パオロ・ロッシ『普遍の鍵』やフランセス・イエイツ『記憶術』によって脚光を浴びた)“記憶術”との関係を想起させた。リサーチの結果として見せられた百科全書的なイメージの展開方法もまさにその系譜にあるといえる。
かつて印刷という情報定着技術によって忘れられた記憶術が、膨大なイメージがストックされ簡単に探すことのできるインターネット時代に改めて背景に見えてきたのはおもしろい。最近では、アーティストやファッションデザイナーの多くがリサーチに力を入れ、むしろリサーチそのものを作品とすることも多い。情報と記憶を調査発掘し、編集し、再構成することで立ち上がる現在形のモノやコトは、未来に再検証されうることを意識的、無意識的に理解しているのではないか。その被検証可能性によって作品は強度を増しているのではないか。長い歴史の中に自らをどう位置づけ、建築を現在に置き、未来に投げるのか。使い捨てるものではない建築とそれを作る建築家の思考から、使い捨てないこれからのファッションのあり方が考えられそうな気がした。