HONEYEE.COM BOOK REVIEW Back Number
BOOK REVIEW vol.24
今月の本 vol.24:周囲との全体性を失う感覚が心地よい、木下古栗の小説世界
『グローバライズ』木下古栗(河出書房新社)
==========
○ご質問
■質問
昔からお酒が呑めません。そのため「酔う」という感覚が分からないのですが、お酒を嗜まれている皆さんを見るととても楽しそうでいつも羨ましく思います。呑めない者なりに「その感覚」を疑似体験するのであれば、昔観たマーチン・スコセッシの映画「アフターアワーズ」の、ストーリーというよりも映像の断片が鮮明にいくつも残るヘンテコなあの感覚に近いのでは?と勝手に思い込んでいます。その様に、本によっても酔っ払った感覚を味わえるものはあるのでしょうか? もしある様でしたら読んでみたいと思っています。酩酊状態ではなく、「軽く楽しく美味しく、それでいて次の日に残らない」そんなお酒を味わえる様な本が希望です。さらに言えば、日本酒、洋酒どちらもあると良いのですが。わがまま言って申し訳ありません、よろしくお願いします。
○プロフィール
永直樹(CITERA)
==========
【本文】
永さん、はじめまして。難題ありがとうございます。僕も下戸でまったくお酒が飲めません。気持ちよく酔ったことがなく、今回お答えする立場にないのでは…、というか僕が答えても実際その感覚を知らないくせに本を薦めるのかという後ろめたさが付きまとうものになりそうで、怯えながらコーラを飲み、柿の種を食べています。
飲めないながらに飲まされた苦行の日々を思い出しながら、その時に覚えた感覚、もしくはお酒を飲んでいる人を(素面であるがゆえにしっかり観察できる)見てきた経験から、本へとイメージを膨らませました。
お酒が飲めないと話すと、「では、どうやってストレス発散をしているのだ?」と訊かれたことが何度もあります。お酒を飲む人はストレスが溜まっていて、お酒を飲み酔うことでそのストレスを消しているということのようです。お酒を飲んで酔うと、日常的な環境や感覚、思考から心理的に距離を取ることができ、一時的にでもいやなこと、めんどうなことを忘れることができるということなのかもしれません。僕の場合は、吐くか寝るかの二択になるため飲んだ時は所々でポコっと空白の時間が生まれていました。これは、お書きいただいた“ストーリーというよりも映像の断片が鮮明にいくつも残るヘンテコなあの感覚”と共通するかもしれません。
「あれ、これは何の話しだっけ?」「ここどこだっけ?」「なぜ急に暴れだす…?」「この人は何を言い続けているのだろう」というような、周囲との全体性を失う感覚が心地よいのだとすると、小説家木下古栗の作品がよさそうです。
奇才と呼ばれ、作家たちから愛される“ライターズ・ライター”とも称される木下古栗の作品は、起承転結と呼ばれるような明解なストーリーや感動、教訓のようなものからはしっかりと距離を取っています。“泣けます”と帯に書かれた作品を好む人や完璧なトリックを愛するような人にとっては憤慨する人もいるかもしれません。例えば、作家たちは『グローバライズ』という作品にこんな作家推薦コメントを寄せています。
・木下古栗ほどエレガントに「失笑」を飼い慣らした作家を、ほかに知らない。(絲山秋子)
・一読のたびに記憶を消したい。そしてまた読んで完膚なきまでに驚きたい。そういう短編集です。(津村記久子)
・古栗は常に別腹です。(松田青子)
・すべての「意識高い系」読書人を挑発し嘲弄する、この上なくドイヒーでサイコーな文学がここに! ! ! (佐々木敦)
一方で、アマゾンのコメントにはこんな言葉もあります。
・下品、意味なし、オチなしの話ばかりです。中学生が深夜に思いつきで書く妄想みたいな。
・【で?っていう話ばっかり。】 最後にドキッとさせる系の短編集。オチと、伏線の回収がわかりにくすぎて途中で読むのをやめました。
・ 【誰か教えて下さい】 なんなんでしょう、これは。
逆に読みたくなってきます。
12個の短編を集めた『グローバライズ』は、木下自身がインタビューで「偶然どこかでぱっと目にした光景から発展させるとか、新しく外に材料を探したい」と思ったと語るように、内容としての共通点はほとんどありません。1度、ある人物が作品をまたいで登場することくらい。
銭湯に入る男性消防士の二人が何でもない会話をした後に起きる「天然温泉やすらぎの里」、理系の大学生が会社訪問をした時に偶然恐ろしいあるものを見かけた「理系の女」、不動産業者の社長と社員の会話から部下がトイレで陰部にある惨事が起きてという「フランス人」など、作品ごと様々な人物が登場しますが、何気ない会話や出来事から(時に最初から変なこともある)どの話も突如としてとんでもない展開を見せます。
まさに「あれ、これは何の話しだっけ?」「ここどこだっけ?」「なぜ急に暴れだす…?」「この人は何を言い続けているのだろう」という自体を目の当たりにします。アマゾンのレビューはそのことをそのままに言っているに過ぎません。
木下はウェブのインタビューで、『グローバライズ』でやろうとしたことを話しています。長くなってしまいますが、木下古栗という作家が意味のわからないことを書いているのではなく、優れて技巧的であり、言語への深い洞察を持って作品に反映させていることがわかる箇所です。
『ポジティヴシンキングの末裔』では、およそ普通の人からすると感情的にも理性的にも理解しがたい心理をもつ人物を描いたり、まったく不要な情報を唐突に提示したり、文章の面でも、いたずらに過剰だったり拙劣だったりする言葉遣いを無駄に多用したりしました。それは例えるなら、インターネットのスパム、迷惑メールのようなものです。最低限のリテラシーがある人なら一読して一切信じないような文章。そういうものに興味を惹かれていて、実際、当時はそういう文章ばかり読んでいました。人間は小説を読みながら感情的に理解したり同調したり、提示される情報をそれなりに咀嚼していくことで、その語りについていったり、その世界に入り込んだりする。一般的にはそれが小説を読む愉しみなのかもしれませんが、それは書かれていることを少なくともある程度信じること、別の言い方をするなら、自分と共通の場に支えられることによってもたらされる体験です。つまりある意味では自分を感じているにすぎないとも言えるわけです。しかしそれとは真逆に、語られる心理や情報、そして語り口や言葉遣いの面でも、書かれていることを疑うどころではなく端からまったく信じられないような、スパムのような文章が面白いと感じていたのです。なぜなら、それをまったく信じられないということは、そこに自分にとってより遠い、相通じない「他人」がいるからです。「何を言ってるんだこいつは?」というような、強く「他人」を感じられる方が面白かったわけです。
─そうだったんですね。
一方で今回はその逆に振れて、つまり、余計な情報やありえない心理を提示したりする代わりに、それらをまったく省いて登場人物たちの行動の描写に徹すれば、それもまた深く入り込めない文章にできるのではないか、普通に文章を読み書きする感覚と距離が出てくるのではないかと考えたのです。
(BOOK SHORTS)
『グローバライズ』は細かな行動でもって人物や出来事が語られ、なぜそういう行動を取ったのかという心理的な変化や伏線のようなものを描かれません。なぜそれが語られたのかということがわからないものもあります。行動だけが描かれ、心理が書かれないと、人はなぜそれが起きたのか、なぜそのシーンを登場人物は見かける必要があったのかを瞬間的には掴めず、そのことによって木下のいう強い“他人”として立ち上がってくる。
素面の我々はお酒を飲み酔った人と同席すると、なぜそういうことになったのか、なぜ急にそんなことをするのか/言うのかという事態に出くわします。こちらが読み取るよりも早く行動や言動としてその人が現れる、これは酔いによる現象は木下古栗の作品を読むことと近いのではないかと思いながら、コーヒーを飲み、パンを千切って食べています。
気持ちよく酔う経験がないため木下古栗がその感覚になれるか何とも心もとないですが、酔った人と同席しながらその場を楽しむことができる方であれば、知っている不思議な感覚にはなれると思います。永さん、今度ノンアルコールの会ぜひお願いします。